野本明男先生は、平成23年初夏に初期の下咽頭癌が見つかり、それ以来3年半に及ぶ病と闘われましたが、11月13日朝、ご自宅で奥様に看取られながら、静かに息を引き取られました。
野本先生は、闘病生活の最中にも多くの職責を果たされ、亡くなられる直前まで多忙な毎日を送られました。11月からご自宅でしばらく静養され、新たな治療へむけて体調を立て直される矢先に急逝されました。享年68歳でありました。
野本先生は、平成21年4月千葉大学真菌医学研究センターにセンター長として着任され、平成25年3月までの4年間、真菌医学研究センターの改革を先導されました。センターの共同利用・共同研究拠点事業の活性化、PI(Principal investigator)制度の導入、真菌免疫分野及びバイオインフォマティクス分野の導入、感染実験研究施設の設立等、センターの個々人の研究力の強化と研究基盤整備に力を注がれました。
先生は、平成19年1月から平成23年12月まで、日本微生物学連盟理事長として21学術団体の連携を組織され、また日本学術会議と一体となり我が国の微生物学の発展に主導的な役割を果たされました。この間平成19年よりInternational Union of Microbiological Societies (IUMS)2011の国際学会の準備委員長として、春日文子副委員長(平成23年より第22期日本学術会議副会長)とともに、平成23年9月にIUMS 2011が札幌で開催されるまでの4年間準備会合をほぼ毎月開催され、この国際会議の成功に深く貢献されました。先生はこの間、平成22年公益財団法人微生物化学研究所理事長に就任され、その重責を亡くなる直前まで果たされました。さらに先生は、平成19年度から23年度には、科学研究費補助金・特定領域研究「感染現象のマトリックス」の領域代表として、細分化された病原微生物、感染免疫領域の横断的な組織作りに尽力されました。本領域研究からは、国際的に注目される多くの研究成果が生み出され、またそれを通じて今日感染症研究の第一線で活躍する多くの研究者が育成されたことは、近年の微生物学領域においても特筆すべきことであります。同時に先生は、平成18年から23年の間、科学技術振興機構さきがけ「RNAと生体機能」の研究総括として、”RNA”をキーワードに関連する若手研究者の育成とネットワークつくりに取り組み、我が国の若手RNA研究の発展に多大な貢献をされました。因みに本センターの米山光俊教授は、平成19年度に京都大学ウイルス研究所准教授で採択され、本センターにおける今日の研究基盤はそのさきがけ領域で培われたものであります。
野本先生は、本センターに加え、これまで都臨床研、北里研究所、東大医科研、東大医学部、微生物化学研究所等でも部長、教授、理事長等の重責を果たされ、その間ポリオウイルスの研究では常に世界をリードされ、平成16年には日本学士院賞を授賞されました。また先生は、WHO Polio Research Committeeの一員として国際的にも長く活躍されました。先生は、ご自身の研究を通じて多くの優秀な研究者を育てられたことは申す迄もありませんが、細分化された微生物学領域の横断的な連携、あるいは病原体と免疫研究の連携にあらたな視点で研究組織を構築し、それらを通じて独立した若手研究者の育成に全力を注がれました。
野本先生は、ご自身の研究では、常に困難な研究課題に真正面から挑む姿勢を貫かれ、独創的なアイデアと方法で若い人を解決へと導かれました。一方で、しばしばご自分の研究時間を犠牲にして、深夜まで若い研究者と酒を酌み交わし議論することを好まれました。先生は常に研究に対して哲学を持つ事の重要性を語り、自らもそれを実践されました。先生のご遺志は、世代・領域を超えて多くの研究者へと受け継がれ、私たちの心にこれからも永く生き続けることと思います。
センター教職員一同、野本明男先生のご逝去に対し、心よりご冥福をお祈りいたします。